文化祭

岩手の学校状況


大船渡市立赤崎(あかさき)小学校

赤崎小学校と隣接する赤崎中学校、両校ともに被災。

子どもたちは校舎の向かい側にある高台の公民館に避難したが、建物の前まで水が来たため、屋上まで避難し難を逃れた。

現在、赤崎小の子どもたちは、高台にある蛸ノ浦小学校で、同校の子どもたちとともに学校生活を送っている。


当時の様子を語る赤崎小学校校長。 赤崎小・蛸ノ浦小の子どもたちからのメッセージをいただく。
蛸ノ浦小学校の校庭。奥に見えるのは仮設住宅。手前は車が入るため砂利が敷かれている。 赤崎小・中学校に、津波が押し寄せた時の映像を見る。今の景色とはかけ離れた当時の映像に、一同言葉が出なかった。
赤崎小学校の校庭には、今も瓦礫が積まれ工事が続いている。

陸前高田市立小友(おとも)中学校

小友小学校・小友中学校は、リアス式海岸の半島の付け根部分に並んで建っており、半島の両側から津波の被害を受けた。

小学校は1階校舎の1メートル余りが水に浸かっただけで済んだが、ほんの少しの立地の差で、中学校は建物の2階まで津波が入り、使用できない状態となる。

現在、小友中学校は、小友小学校を間借りする形で授業が行われている。

当時の津波のようすを、現場を見ながら話される小友中学校長。 小友小学校から見た景色。海は見えない。ここを2方向から津波が襲ってくると、誰が予想しただろうか。 全国から沢山のあたたかい応援の言葉が寄せられていた。 津波により根元からなぎ倒されているプールのフェンス。 中学校の校舎が壁となり、裏の民家は守られた。 当時のままの姿を残す校舎内。天井がごっそりと抜け落ちている。
校庭にはガラス片や木屑などが今も散乱し、土に埋まったまま。 手前が中学校、奥に見えるのが小学校。ほんのわずかの立地の差が明暗を分けた。

視察を終えて

今回訪れた学校に限らず、岩手の被災地域の学校では次のような状況にある。

一つ目は運動場。被災しなかった学校の校庭は仮設住宅に当てられており、被災した学校の校庭は瓦礫置き場になっている。子どもたちが、のびのびと体を動かせない状況が続く。

二つ目は新校舎建設。安全な場所への建設となると、山を整地しての工事となるため、平地での建設よりも建設費や時間がかかる。

三つ目は元々過疎地域のため、学校の統廃合が進むと見られるが、保護者の就労先も決まらないので、児童・生徒数が把握できない。また、給食費などを収められないなど、子どもたちの生活や心も安定しない。

ただ、三陸地方は過去に何度も津波を経験しているためか、当時学校にいた子どもたちは避難し助かった。せめてもの救いであった。


(以下、「東日本大震災が残した爪痕=復興をめざす学校現場=」岩手教職員組合・編)

11.今後の課題

震災から半年が過ぎ、やっとがれきの撤去が7割を超えてきている。しかし、地域の再生はこれからである。いくつかの課題を列挙しまとめとしたい。

①町づくりビジョンの早期作成
②産業の復興と雇用の確保
③学校の再建とコミュニティーづくり
④教職員の加配による学校現場の支援体制
⑤子ども・教職員の心のケア
⑥保護者・地域住民など心のケア
⑦被災家庭の支援の強化
⑧里親制度の内容の充実(補助金の拡大)
⑨防災教育の再点検
⑩学校・地域・行政の関係の見直し
⑪来年度以降の学校の様々な活動に対する支援体制
⑫放射線緊急対策マニュアル
⑬食の安全の確保・安全な食材の提供

職員室にあったデータはすべて流された。教員が自転車で走りまわり、連絡を取り合った。
たった一本残った高田松原公園の松の木。
海沿いにある気仙中学校は、校舎の三階まで津波が来た。